2021年6月30日水曜日

映画館

サロンシネマで映画みてきた。

王道でアレサフランクリンの、、


ではなく、ファンタスティックプラネット




いやー、気持ち悪かったー笑(いい意味で)
映像も音声も、なんともいえない
あの不穏で不気味な感じ笑
フランス映画って感じだった。

日本人の感覚ではちょっと作れないかもなぁと。

日本って、「奴隷」みたいな感覚って多分ちょっとない気がするし
そりゃもちろん虫や動物に対して残酷なこともしてるけど、
どちらかというと日本は、草木も虫も同じ命、、のような考え方な気がするので。

西洋の、「善か悪か」「支配者か奴隷か」
のような価値観が現れてるように感じて、なんとなく居心地の悪さがあって、やっぱり自分は日本人の感覚なのだろうなーと勝手に納得した。

今、明治以前の日本の文化に興味があって、
色々本を読んだり調べているので、それについては
またどこかでポロっと書けたらいいな。

2021年6月11日金曜日

冷静と情熱の間

わたしは、結構きっちりした性格、とも言えるし、かなりぬけている性格、とも言える。
状況によって、極端になりやすい。
それはきっと、もともとがぬけているから、「しっかりしなきゃ、やらなきゃ」となったら、すごく頑張らないと出来ないから、だと思っている。

頑張り続けて、頑張る体力も持っていなきゃいけないけど、頑張りすぎると、ぷーーんとどこかここではないところに飛んで避難して、穏やかな自分を取り戻す時間が必ず必要になる。

バランスが難しい。

理想は「ゆったりしてるんだけど、締めるとこはビシっと締める」みたいなの。

歌も一緒なんだよなぁ。
体も心もリラックスしてるけど、呼吸で使う筋肉はビシっと軸が通ってて、そこへの集中力だけはゆるぎない軸が通ってて、あとはリラックス。

私はどちらかに偏りやすいから、そのバランスが難しい。
集中したら全部が固くなりやすいし、リラックス〜と思うと、全てが緩んでしまいやすい。。

昔、吉田沙保里選手の試合の時の脳波を測ったら、交感神経と副交感神経が両方とも高い状態だった、ていうのを何かの番組で見たことがあるけど、歌もそうだと思う。
まさに、冷静と情熱の間。

しかしながら、リラックスと集中力を両立させるには、歌は本当に最高だと思う。
多分きっと、ダンスとか、スポーツとか、そういうのもきっと。
それはきっと古代からずっと変わらず、ひとが行い続けてきたこと。
リラックスしすぎたら死んでしまう、でもがんばりすぎても死んでしまう。
何事もバランス。

まぁ、ときにはどっちかに振り切ることもあるかもしれないし、それも必要かもしれないけど。

偏って固まって動けなくなったら死んでしまうから、曲がりすぎず、反り過ぎず、強すぎず、弱すぎず、竹のようにしなやかに、川の流れのようにさらさらと。
あっちこっち、行ったり来たりしながら、ゆるっとビシッと、スイッチ切り替えながら、自分のいい位置にいられればいいなぁ。




あ、でも、筋力は確実に老化していくからね、、、
非力なコビトさんは、ちゃんと筋トレします。。

2021年5月26日水曜日

My favorite things

この歌詞が今ほど沁みることはない

色んなことがありすぎて
自分の中に負のエネルギーが溜まりすぎて
どうしようもなくて
この世界が嫌になってしまった

どんなポジティブな言葉も届かない
暗い海の底に
心が沈んでしまって
なんにもやる気がでない


でも
この世界を諦めてしまう人がいるとしたら
それならその前に
自分の好きなことを全部やってからにしては?
と思う


なんでもいい
少しずつ思い出そう、自分の「好き」。
ちっちゃなことでもいい
くだらなさそうなことでもいい


美味しい紅茶やコーヒー飲んで
美味しいパンケーキたべて
きれいな色に囲まれて、いい香りに包まれて

雨粒が傘に落ちる音とか
風に揺れるみどりとか
生き生きと響く鳥の声とか
そういうものに耳を澄まして

コントみて大笑いしたり
リズムに身を任せて踊ったり
とにかく全力で走ってみたり

自分の中の生きるエネルギーを
もう一度燃やす


もちろん「怒り」も生きるパワー
だけどそれにまみれて身動きがとれなくなってしまう前に
自分の「好き」を思い出そう
波立つ水面がすーっと静かになだらかになるように
深呼吸をして


また、そこから始めよう
自分の「好き」から。


2021年5月6日木曜日

花束みたいな恋をした

久しぶりに邦画みた
「花束みたいな恋をした」
今日がラストの上映日。ギリギリのレイトショー。

「始まり」は必ず「終わり」を内在している
「始まり」は、「終わり」への始まり


いい映画だった
なんか、なつかしくて、せつなくて

だから
きっと、このブログなんて見てくれてる人は
ほとんどいないだろうと思うので
どうでもいい私の昔の恋愛とかを書いてみようと思う(もしも知ってるひとが見てたら、恥ずかしいので、見て見ぬフリをしててください笑)





私にも、学生時代から、5年半付き合った人がいた
同じサークルの同級生だったから、
麦くんと絹ちゃんみたいに
(あそこまでの偶然はないけど。でもあの偶然も作られてたものだから、そう考えると同じようなものかもしれないけど)
同じものをみて、似たように感じて、共通のものでつながってると思ってた

きっと、学生の頃の恋の始まりって、どこにでもある、そんなものなのだと思う


でも、だんだん、「同じ」と思っていたものが違っていって
「なんで好きなんだろう」って思い始めて
相手の「好き」って思っていたところに、魅力を感じなくなってきて
だんだんそれが嫌になってきたりして。
それでも、好きに理由はいらない、なんて思って、ただ一緒にいられればそれでよかった


だけど、月日は確実に過ぎていって、それぞれを変えていって
私は麦くんであり、絹ちゃんでもあった


ただ一緒にいられればよかった
恋愛感情のようなものがなくても
ただ同じ空間で、同じ空気を吸って、それぞれのことを話して、ただ一緒にいられればよかった

でも結婚がしたかったわけじゃなくて
結婚というものにしばられたくはなかったから
まだまだやりたいこともたくさんあったし
(ただ、二人と違うのは、私たちは実家暮らし同士で、同棲はしてなかったから、もしも同棲していたら、また未来は違っていたのかもしれない)
ただ、一緒にいたかった

だけど、彼の温度は、私よりも高かった
(多分。笑
これは私が感じていただけだから、本当のところはわからないけど)
私は愛されてた(と思う)
彼の気持ちは、まだあたたかい恋愛の温度を保ってた(と思う)

だから、その温度差が、私にはきつかった
私は、多分、冷めていた

でも、冷めていても、一緒にいたかった


「恋愛感情がなくても、ただ一緒にいられればいい」
「自分と同じ温度でいて欲しい、同じ世界で生きていきたい」
私は麦くんであり、絹ちゃんだった

私の勝手な推測だけど、
彼もまた、現実を進めていこうとする麦くんであり、無邪気な気持ちを持ったままの絹ちゃんであったのではないかと思う


映画みたいに、
同じ仲間内で、結婚したカップルもいた


ただ、私たち二人の歯車は噛み合わなかった


彼は大学を卒業して、音楽を目指して頑張っていたけど、数年後、就職して、Facebookとかで時々見かけると、仕事前向きに頑張ってて結婚生活も順調そう

私は大学を卒業して、就職したけど、4年で辞めて、今は音楽に関わる仕事をしている
 

今思えば、彼は私のことを本当に大切にしてくれていたし、私のことをすごく理解してくれてたと思う


だけど、そこには驚くほど「未練」というものはないのだ
私は彼の幸せを、心から願ってる


そう、あれは本当に「花束みたいな恋」だった






「同じ」を求めて始まると、それが「違う」と思ったときに、それは終わってしまう。

恋愛に「同じ」ということは、そんなに重要な要素ではないのかもしれない

私はそう思うようになった





夫とは、あまり「同じ」がない。
むしろ「違う」から面白い、と思ってる
でも正直、「同じ」だったら楽しいだろうなーって思うこともたくさんあるし、コイツつまんないなーって思うことも、ある(すまんよ夫)

でも、どんなに「同じ」があったとしても
所詮は違う人間。

ほんっとに「同じ」なんて、多分幻想なんだ。
「同じ」を求め始めると、ズレが許せなくなってくる
どんどんぴったりを求めてしまって、ほんとは違うのに、全然違うのに
ひとは欲張りだから

そういう意味では、私は妥協の許せないタイプなのかもしれないな
「微妙に違う」くらいなら、「全く違う」ほうがいい、みたいな

私はただ、「私」という存在を肯定してくれれば、それでいい
一緒にそばで体温を感じられれば、それでいい
充電器とか、布団とか、そういうの


とりあえず「今は」そう思ってる
これからはわからないけど


結局、正解なんてわからない
二人がよければそれでいい世界なのだ





映画館は、カップルで見に来てるひとたちもいて、
「途中、心が痛過ぎて見れなかった」ってカップルの男が言ってて、なんとなくこの二人とは仲良くなれないだろうなと思った

そして、一人で見に来てる男性がいて、この人とはイエスタデイでコーヒー飲みながら語り合えるかもと思った


そんなことをつらつら考えながら
映画の余韻に浸りたくて
自転車で出かけたのに
家まで歩いて帰った

 




2021年5月1日土曜日

誕生日

誕生日って、いくつになっても嬉しい。

 


友達の友達がやってるアクセサリーの展示会に行ってきた。
見るだけ、、のつもりが、、
とっても個性があって素敵だったので、
普段用とライブ用に、購入してしまったーー 
自分へのプレゼントということにしよう!笑
Happy birthday for me!

素敵な作家さんで、これを機にご縁ができて嬉しい。

ひとつひとつ手作りものなので、後日郵送で送っていただくことに。
届くの楽しみだーーーー

 


そして姉から、私の大好きなプリンが贈られてきた〜

プリン祭り。ありがとう^_^


プレゼント、色々もらったりして
  


そして両親からラインで
お誕生日おめでとうメッセージ。

この歳になっても、親から誕生日を祝ってもらえるのは、
本当に幸せなことだなぁ。
今年も無事にひとつ歳を重ねることができて、感謝。















2021年4月29日木曜日

ライブ終わり、雨の夜

「音楽」は言葉のいらない表現方法
言葉では伝えきれないものを表現できる

けれど、その「音楽」の中でも
「歌」はやっぱり特別に思う

私は主に英語の歌詞を歌っていて、
それは母語ではないから、もしかしたら本当の意味では
正確にその歌詞のメッセージはわからないかもしれない

でも、だからこそ、その言葉の意味や歌詞を
すごく調べて、想像して、思いをはせて、歌う

その作業をするたびに、つくづく
「歌」には人の思いがつまっているのだなぁと感じて
なんだか涙が出そうになってしまう

いつの時代も、ひとが「思う」力は、
特に、大切な誰かを思う力は、なんて尊く美しいんだろう

そんなことを改めて思った、ライブ終わり、雨の夜。

雨の中お越しくださったお客さまに、心から感謝。



2021年3月12日金曜日

おもい

毎日毎日

くだらないことと尊いことが

押し寄せる日々にのまれながら

わたしたちは

答えのない問いを抱えながら

これからも

ただただ歩いてゆくしかない


時に立ち止まり、振り返り

膝を抱えてうずくまり


それでも

前に向かって歩いてゆくしかない


いつか

真っ白な世界で

誰かの涙が報われますように

誰かの傷が癒やされますように


それまではただ

この美しく汚い世界で

もがきながら生きていく

2021年2月27日土曜日

ふと、改めておもったこと

これからどんないいことが起こるんだろう
どんないいことが私を待ってくれているんだろう

そう思えばいいんだ

失敗したらどうだろうとか
怒られるかもとか
うまくいかないかもとか
傷つくんじゃないかとか
つまらないんじゃないかとか

そういうマイナスの未来じゃなくて

どんなにうまくいくだろう
どんなに喜んでもらえるだろう
どんな素晴らしいことが待ってるだろう
どんな楽しい時間になるだろう

そう思えばいいんだ

そしたら、自然と笑顔になる

危険予測するのは、人間の本能
だから、どうしようもない

私はこれをこれだけやったんだから、
だからきっと大丈夫っていう、自信
根拠はなくてもいい
だめでも、全部だめなんてことはない
ひとつくらいはうまくいってることもあるから

だから、そういう前向きな気持ちで
今を生きていたら、きっと
そういう素敵な未来しか来ない

だって
未来は誰にもわからないんだから
どんな未来がくるかなんて、誰にもわからない

どんな今を過ごすのか

その「今」の積み重ねの先にしか
未来はない

2021年2月26日金曜日

ライブ

今、その時しか存在できない


なにかあっても後戻りはできない

後にも先にもかまっているヒマはない


今、今、今、の連続 


この光の中

わたしのハコはちゃんと鳴っているだろうか

心に歌は奏でられているだろうか


終わってしまえばあっという間で

またその「今」のために

最高の「今」のために


また、果てしない闇に帰っていく




2021年2月19日金曜日

辻井伸行コンサート

ピアノの箱から
たくさんの感情が溢れ出るのをみた

生き生きとした音符たちは
楽しそうにとびまわり
時に寄り添うようにやさしく
この空間を満たして

あぁ ピアノの箱は宝箱なんだって
改めて思った

そんな素敵な夜

ありがとう





2021年2月12日金曜日

排出

私たちは、呼吸をしなきゃいきていけない

呼吸は、息を吐いて、息を吸う。

私たちは食事をしないといきていけない。

食べ物を体内に取り込んで、必要な栄養分を取って、不要なものは排出する

取り込んだら、必ず排出しなくちゃ、きれいに循環できない

もちろん、良いものを身体に取り込むことは大事なこと

けれど、どんなにいいものを取り込んでも、ちゃんと排出できずに体内に溜まっているとよくない

呼吸も、上手に吐くことができれば、自然に息は入ってくる

吸うことばかりに一生懸命になっていると、過呼吸と同じで苦しくなってくる

「上手に排出すること」

何を取り入れるかは、すごく厳選されるけど、どう排出されるかは、あまり問われないような気がする

私たちは排出しないと生きていけない

息を吐き、うんちをしておしっこをして、今日あった悲しいことや嫌なことを、誰かに聞いてもらったり、涙で流したり、叫んだり、歌ったり

そしてまた必要なものを体内に取り込んで、そうして循環させていく


また放置してたけど、思い出したように語る

またまた放置していた!

去年から始めた、ツイッターやストーリーズの動画とかが、自分の中のルーティンに定着してきたので、
こっちも思い出したようにまた始めてみようと思う。

今日はお風呂の中でふと思った声についてのつぶやき。


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日常の中で、自然に歌(鼻歌とか)を歌っている人って、どれくらいいるのだろう。

私のように、日頃から歌うことが好きで身近で、気づいたら鼻歌歌ってるっていう人。
一定数はいると思うのだけど、きっと世の中にはそうじゃない人たちもいると思う。

今は通信手段の発達で、ラインやメールで事が済んでしまったり、加えてこのコロナの影響で、人と直接話すことが少なくなっているから、そういう人たちは、ほんとに日常の中で声を出すということが少ないのではないかと思う。

ボイストレーニングというと、歌う人のトレーニング、とか、専門的なスキルを養うもの、というイメージがあるかもしれないけど、
私は、歌や音楽にさほど興味のないひとも、もっと身近にボイストレーニングを体験してほしいなぁと思う。

声帯も筋肉のひとつ。
運動しないと体が動きにくくなるように、声も適度に発していないと、どんどん弱ってくる。

声を発する、というのは、自分の思いを伝えること、表現することの、基本的な行為だから。
「声」のもつパワーって、すごいから。
自分の思いが、体に響いて、声になって、相手に届ける。
響く声は、誰かにパワーを与えたり、自分を癒してくれることもある。
世界にたったひとつしかない、自分の声。

それを大切にしていきたい。


とりとめもないけど、今日はこれで終わり!