久しぶりに邦画みた
「花束みたいな恋をした」
今日がラストの上映日。ギリギリのレイトショー。
「始まり」は必ず「終わり」を内在している
「始まり」は、「終わり」への始まり
いい映画だった
なんか、なつかしくて、せつなくて
だから
きっと、このブログなんて見てくれてる人は
ほとんどいないだろうと思うので
どうでもいい私の昔の恋愛とかを書いてみようと思う(もしも知ってるひとが見てたら、恥ずかしいので、見て見ぬフリをしててください笑)
私にも、学生時代から、5年半付き合った人がいた
同じサークルの同級生だったから、
麦くんと絹ちゃんみたいに
(あそこまでの偶然はないけど。でもあの偶然も作られてたものだから、そう考えると同じようなものかもしれないけど)
同じものをみて、似たように感じて、共通のものでつながってると思ってた
きっと、学生の頃の恋の始まりって、どこにでもある、そんなものなのだと思う
でも、だんだん、「同じ」と思っていたものが違っていって
「なんで好きなんだろう」って思い始めて
相手の「好き」って思っていたところに、魅力を感じなくなってきて
だんだんそれが嫌になってきたりして。
それでも、好きに理由はいらない、なんて思って、ただ一緒にいられればそれでよかった
だけど、月日は確実に過ぎていって、それぞれを変えていって
私は麦くんであり、絹ちゃんでもあった
ただ一緒にいられればよかった
恋愛感情のようなものがなくても
ただ同じ空間で、同じ空気を吸って、それぞれのことを話して、ただ一緒にいられればよかった
でも結婚がしたかったわけじゃなくて
結婚というものにしばられたくはなかったから
まだまだやりたいこともたくさんあったし
(ただ、二人と違うのは、私たちは実家暮らし同士で、同棲はしてなかったから、もしも同棲していたら、また未来は違っていたのかもしれない)
ただ、一緒にいたかった
だけど、彼の温度は、私よりも高かった
(多分。笑
これは私が感じていただけだから、本当のところはわからないけど)
私は愛されてた(と思う)
彼の気持ちは、まだあたたかい恋愛の温度を保ってた(と思う)
だから、その温度差が、私にはきつかった
私は、多分、冷めていた
でも、冷めていても、一緒にいたかった
「恋愛感情がなくても、ただ一緒にいられればいい」
「自分と同じ温度でいて欲しい、同じ世界で生きていきたい」
私は麦くんであり、絹ちゃんだった
私の勝手な推測だけど、
彼もまた、現実を進めていこうとする麦くんであり、無邪気な気持ちを持ったままの絹ちゃんであったのではないかと思う
映画みたいに、
同じ仲間内で、結婚したカップルもいた
ただ、私たち二人の歯車は噛み合わなかった
彼は大学を卒業して、音楽を目指して頑張っていたけど、数年後、就職して、Facebookとかで時々見かけると、仕事前向きに頑張ってて結婚生活も順調そう
私は大学を卒業して、就職したけど、4年で辞めて、今は音楽に関わる仕事をしている
今思えば、彼は私のことを本当に大切にしてくれていたし、私のことをすごく理解してくれてたと思う
だけど、そこには驚くほど「未練」というものはないのだ
私は彼の幸せを、心から願ってる
そう、あれは本当に「花束みたいな恋」だった
「同じ」を求めて始まると、それが「違う」と思ったときに、それは終わってしまう。
恋愛に「同じ」ということは、そんなに重要な要素ではないのかもしれない
私はそう思うようになった
夫とは、あまり「同じ」がない。
むしろ「違う」から面白い、と思ってる
でも正直、「同じ」だったら楽しいだろうなーって思うこともたくさんあるし、コイツつまんないなーって思うことも、ある(すまんよ夫)
でも、どんなに「同じ」があったとしても
所詮は違う人間。
ほんっとに「同じ」なんて、多分幻想なんだ。
「同じ」を求め始めると、ズレが許せなくなってくる
どんどんぴったりを求めてしまって、ほんとは違うのに、全然違うのに
ひとは欲張りだから
そういう意味では、私は妥協の許せないタイプなのかもしれないな
「微妙に違う」くらいなら、「全く違う」ほうがいい、みたいな
私はただ、「私」という存在を肯定してくれれば、それでいい
一緒にそばで体温を感じられれば、それでいい
充電器とか、布団とか、そういうの
とりあえず「今は」そう思ってる
これからはわからないけど
結局、正解なんてわからない
二人がよければそれでいい世界なのだ
映画館は、カップルで見に来てるひとたちもいて、
「途中、心が痛過ぎて見れなかった」ってカップルの男が言ってて、なんとなくこの二人とは仲良くなれないだろうなと思った
そして、一人で見に来てる男性がいて、この人とはイエスタデイでコーヒー飲みながら語り合えるかもと思った
そんなことをつらつら考えながら
映画の余韻に浸りたくて
自転車で出かけたのに
家まで歩いて帰った