2018年4月23日月曜日

からだの勉強会

月に一度参加している、カラダ勉強会の日。



先日は都合よく?行く途中で膝が痛くなって、当日、先生のレクチャーのもと、体の仕組みを理解しながら手技を加えていくと、体が少し整ってきて、帰る頃には痛みはなくなっていました。
今までは原因不明で、昔は病院にいって膝の検査とか色々したけど、結局、原因はそこじゃなかったんだよね。

つい、痛いところばかりみてしまうけど、原因はそこじゃなくて、体のことをちゃんと知っていれば、もっと多角的な視野でみて、原因を探すことができる。

うまくいかないことがあると、ついそのことを限定的にみてしまうけど、もっと広い視野で俯瞰的にみることができれば、解決のヒントがみつかるのかもしれない。
カラダのことだけじゃなくて、色んなことを、もっと広い視野でみれるようになりたいなと思う。

2018年4月16日月曜日

情緒不安定な戯言



「自由で、孤独」


自由の対義語は、不自由


孤独の対義語がうまく思いつかなくて、調べてみたら

連帯、とか、一体感、とか。


ちょっと考えて、思ったのは、

安心?安定?


自由で孤独なのと、安心感があって不自由なこと


自由と安定は、両立できないのかなって思ったけど、

不安定な自由は、本当の意味では自由ではないのかもしれないなって

よく言われる、自由と責任、みたいな。




自由と、幸せと、安定と、不自由と、不安定


帰れる場所が、安定があるからこその自由なのか

安心できる場所があるということは、それはもはや不自由なのか


でも、

自由が幸せとは限らない

「不自由な幸せ」

もしかしたら人は、不自由だからこそ幸せなのかもしれない


ひとりで孤独を抱えていきていけるほど、人は強くないから

不自由な中に、安心を見出して

それが所詮、孤独と孤独の寄り合いだったとしても



そしたら人が本当に自由になれるのは、

あらゆるものから解放された時

なのかもしれない


心はいつも自由で体が不自由なように

それが生きるということならば




自分の孤独や不安定さを、必要以上に、人に頼ろうとしちゃいけない

これは私だけのもの

だれにも分からない

わかってほしいと、思ってしまうけど、他人なのだから、それは無理だ

でも、どこかにそれがわかってくれる人がいるんじゃないかって、夢想してしまう


きっとでもそれは家族とさえも分かち合えないもの

本当に、私だけのものなのかもしれない


でも、その、

わかって欲しいという気持ちが、愛なのかもしれない

たとえ、わかってもらえなくても

わかってもらえないことがわかっていても


でもその思いが強いほど、孤独も大きくなってしまって

時々、その重さに耐えられなくなりそうになる


でも、それが、私。

そしてそれが私の表現の源なのかもしれない

そこに、希望を求めて、夢をみて

絶望や孤独の底から、光を見上げるように


そしていつも、その絶望の淵から、ギリギリ落ちないでいられるのは、私の中にある、愛の力なのだろうと





2018年4月8日日曜日

先日のライブ

先日はJazz Club Birdにて。
ピアノなかにし隆さんと、ベース九十九清美さんとライブでした。


なかにしさんの美しいピアノと、ツクモねえさんの男前なベース。
お二人の素敵なサウンドに混ざって、気持ちよく歌わせてもらいました。



まだまだ未熟ではございますが、今後しばらくこのメンバーで私なりのサウンド作りを目指していきたいと思っていますので、良かったらぜひ、応援よろしくお願いします!

お越し下さったお客様ありがとうございました!
マスター鳥越さん、なかにしさん、九十九さん、お世話になりました!